6434人が犠牲になり、3人が行方不明となった阪神大震災(1995年)の被災地は17日、発生から丸22年の朝を迎えた。激しい揺れが起きた午前5時46分に合わせ、各地で追悼行事が営まれた。風化を危ぶむ声がある一方、東日本大震災や熊本地震など大きな災害が各地で相次ぎ、その爪痕は生々しく残っている。南海トラフ巨大地震の危険性も直視しなければならない。震災の経験と記憶を語り継ぎ、教訓を生かす必要性が揺らぐことはない。
神戸市中央区の東遊園地では、市民団体など実行委による「阪神淡路大震災1・17のつどい」が開かれた。昨年に続き公募で決めた竹灯籠(とうろう)の文字は「1995 光 1・17」。約7000本に明かりがともされ、遺族や市民が午前5時46分の時報に合わせて黙とうした。午前7時現在の参列者は約4700人で、日曜だった昨年の約9000人から半減。記録のある2008年以降、同年の約4500人に次ぎ2番目に少なかった。
午前5時46分、妻睦子さん(当時57歳)と母藤さん(同85歳)を亡くした塩崎章さん(86)=神戸市東灘区=は、竹灯籠の前で静かに目を閉じた。兵庫県芦屋市にあった木造2階建て自宅は1階が潰れ、隣で寝ていた睦子さんは、たんすとはりの下敷きに。「睦子、大丈夫か」と声を掛け、「苦しい」と返ってきたのが最後の会話だった。別の部屋で寝ていた藤さんもはりの下敷きになり、翌朝クラッシュ症候群で亡くなった。「震災は思い出すだけでも苦痛で、できれば忘れたい。それでも2人の事は忘れたくないから、つらい気持ちを抑えて来るんです」
東遊園地を毎年訪れる札幌市の会社員、柳生芳枝さん(74)は、震災で亡くした夫伸一さん(同61歳)に「元気で頑張ってますよ」と報告した。同県芦屋市の自宅が全壊し、隣で寝ていた伸一さんが柱の下敷きになり即死。がれきに埋もれていたピアノが「たった一つだけ残った夫婦の思い出の品」で、今も趣味で弾き続ける。「つどいに参加しないと、私の一年が始まらないの」と語った。
犠牲者の名前を刻む「慰霊と復興のモニュメント」前では神戸市東灘区で被災し、妻裕美子さん(同32歳)を亡くした大阪府和泉市の会社員、大鳥居慎司さん(58)が遺族を代表し「追悼のことば」を述べた。【阪神大震災取材班】
2017年01月17日
毎日新聞(無料)から
(引用)
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阪神大震災22年:地震列島、語り継ぐ記憶…遺族ら祈り
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