阪神大震災から22年を迎えた17日の朝は、前夜の雨が上がり、澄んだ冷気が寒かったあの日を思い起こさせた。「頑張っているよ」「見守っていてね」。各地で営まれた追悼会場で、自宅の仏前で、出勤前にほこらの前で、犠牲になった大切な人に思いを巡らせ、手を合わせる人たちがいた。被災地は鎮魂の祈りに包まれた。
竹灯籠(とうろう)にともされた明かりが、写真の中の幼い2人の顔を柔らかく照らした。神戸市中央区の東遊園地を訪れた同市長田区の福祉施設職員、柴田大輔さん(29)は、あの日犠牲になった弟に心の中で語りかけた。「ヒロ、トモ。また今年も会いにきた」。隣には、昨年結婚した妻奈津さん(33)が寄り添う。「家族が増えたんだ」。昨年、震災の語り部グループに参加した。「伝えていく。2人のこと、これまでのこと」
あの日、長田区の自宅は全壊し、家族5人全員が生き埋めになった。両親と小学1年だった大輔さんが救出された時、弟の宏亮ちゃん(当時3歳)と知幸ちゃん(同1歳)はまだ家の中にいた。そこに火災が襲ったという。母やす子さん(53)は一時意識不明となり、今も足に障害が残る。
仮設住宅で学生ボランティアらと遊んで、ふさぎ込みがちだった自分を変えることができた。「お返しをしなければいけない」と常に思っている。18歳になり、地域の消防団に入った。やす子さんの障害がいつ悪化するかわからない。「自分にできることを」と、昨年から介護福祉士を目指し、市内の高齢者福祉施設に転職した。そこで、神戸出身の奈津さんに出会った。
昨年12月、東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」を奈津さんと訪れた。たくさんの犠牲者の名前が刻まれた空間が「息苦しくなる」とほとんど訪れたことがなかったが、妻には見せておきたかった。そこに2人がいる、と思っているからだ。「ヒロとトモ、あそこや」。弟2人の名前が刻まれた銘板を一緒に見上げた。「また、新しい家族ができたら、紹介しよう」。2人で約束した。
脳裏に焼き付いた光景がある。震災から3週間後。自宅があった場所を訪れると焼け野原になっていて、自衛隊員が家を掘り返していた。小さな遺体が見えた。宏亮ちゃんが好きだった仮面ライダーの人形があって弟と分かった。「むこう行っとけ」。自衛隊員に目隠しされてからしばらくの記憶はないが、それだけは忘れられない。
自分が知るそんな経験を伝えていこうと昨年、神戸市の語り部グループに入った。17日は母校の市立太田中(須磨区)で、全校生徒に向けて語る。「大切な人を失ってしまったこと、1日で日常がなくなってしまうこと。今後の災害に備えるためにも、次の世代や知らない人に共感し、受け止めてもらえたら」と願う。【神足俊輔】
2017年01月17日
毎日新聞(無料)から
(引用)
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阪神大震災22年:「伝えていく」弟を失った経験、後世に
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