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Channel: おっちゃん、さん。(そろそろ引退するかも)のブログ
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日航機墜落30年 元警察幹部、科学技術への過信に警鐘

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 520人が亡くなった1985年の日航ジャンボ機墜落事故当時、墜落現場となった群馬県の県警本部長だった故・河村一男さん(享年75)が、亡くなる2カ月前に事故について講演した映像が神戸市内の遺族の元に残されていた。「巨大科学の利用には危険が伴う」と語った河村さん。12日で事故から30年。凄惨(せいさん)な現場の渦中にいた人物の貴重な「遺言」が今に伝わる。(磯辺康子)

 河村さんは山口県出身。58年に警察庁に入った。兵庫県警でも2回、通算で約4年勤務し、本部の警務課長などを務めた。日航機墜落事故では、事故対策本部長として現場の捜索や捜査の指揮を執り、晩年は神戸で過ごした。

 家族の手元にあったのは、2006年2月、群馬県前橋市で開かれた「関東ろう者大会」での講演のDVD。当時、河村さんは胃がんで姫路市内の病院に入院しており、そこから群馬に向かった。

 講演は約1時間。事故後に「御巣鷹の尾根」と名付けられた墜落地点と、3キロ近く離れた「御巣鷹山」が混同されている点などを挙げ、「正確な情報が伝わっていない」と強調。地面にめり込んだ小さな遺体の一部まで掘り起こし、520人全員の身元を特定したことなどを説明した。

 その上で「警察官だった35年間に数多くの事件、事故を扱ったが、死者1人の事故も520人の事故も、命の尊さに変わりはない」と心情を語った。また「コンピューターでいろいろなことができるようになったが、人間の知恵はどこか抜けている」と指摘。東日本大震災を予感するかのように原発の危うさにも言及していた。

 長女章代さん(53)によると、河村さんは若いころに勤務した神戸を「心の古里」といい、退職後の定住先に選んだ。神戸では阪神・淡路大震災を経験。亡くなる2年前と前年、事故に関する著書を出版し、「3冊目を出したい」と語っていたという。

 事故30年を前に今年初めて映像を見たという章代さんは「常々、群馬の人々にお礼を言いたいと話し、最後にそれがかなったと思う。病床では『まだ伝えたいことがある』と悔しがっており、講演は遺言のように感じた」と話す。

神戸新聞NEXTから
2015年8月10日(月)17時0分
(引用)




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