ここは息子の二つめの墓なんです--。25日で発生から11年となるJR福知山線脱線事故で、次男を失った上田弘志さん(61)=神戸市北区=は兵庫県尼崎市の事故現場でマンション工事の撮影を続けてきた。求めていた全部保存はかなわず、命日に原形のままの建物を見るのは今年で最後。「息子を思いやるための場所が変わってしまう」と割り切れない思いでいる。
「建物を雑に扱っていないか心配なんや」。4月中旬、上田さんは忙しく出入りする作業員にビデオカメラを向けながら語った。工事が始まった1月上旬以降、休日や空いた時間を見つけては足を運んだ。その数は40回を超え、録画は約30時間に及ぶ。
事故の約5年後、JR西日本の許可を得て4階北側のベランダに立った。あの日、救助隊がロープを使って、建物に激突した2両目の車両から次男昌毅(まさき)さん(当時18歳)を引き上げた場所だ。「ここに立つと生々しい記憶がよみがえる。つらい場所だが、そのまま残さないと事故が風化する」と感じた。
長男を病で1歳で亡くし、その2年後に昌毅さんを授かった。2人分の愛情を注いで育てた。事故に遭った当時はコンピューター関連の仕事に就こうと短大に入学したばかり。どれほど無念だったかと思う。
「原爆ドームはありのままだから、恐ろしさが伝わる。現場のマンションも同じ」。JR西には2回、全部保存を求めて要望書を出した。だが、JR西は被害者へのアンケートなどから、9階建ての4階までを階段状に残し、アーチ状の屋根で覆う計画を決めた。
今年3月に訪れた際、作業員が建物の壁に工事用の足場を固定するアンカーを打ち込んでいた。見ていて「息子の体が切り刻まれているようだ」と涙がこぼれた。工事関係者に「なぜ先に教えてくれなかったのか。他に方法はないのか」と詰め寄ったこともある。
JR西は命日の後、本格的に工事を進める予定だ。「たとえ工事を止められなくても、こんな遺族もいることを知らせたい」。25日も複雑な思いを抱えながら、現場に立つつもりだ。【釣田祐喜】
2016年04月24日
毎日新聞(無料)から
(引用)
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福知山線脱線:「息子思いやる場所」建物工事撮り続ける父
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