犾
2017年01月0123456789日
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2017年01月26789日
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犾大相撲:横綱誕生、地元喜びに沸く…龍ケ崎市役所では万歳
大関稀勢の里関の横綱昇進が25日、正式に決定したことを受け、母校の小中学校がある茨城県龍ケ崎市では市役所に横断幕を張ったり、花火を打ち上げたりして喜びに沸いた。
市役所のホールでは、午前9時ごろにテレビで決定が速報されると、横断幕が張り出され、職員たちが万歳し祝福。昼ごろには、防災行政無線で決定を伝え、花火を打ち上げた。中山一生市長は報道陣の取材に「郷土の誇りだ」と述べ、市民栄誉賞を授与すると発表した。(共同)
2017年01月25日
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犾大相撲:簡素な口上「かみました」…横綱・稀勢の里誕生
大相撲の第72代横綱への昇進が正式に決まった稀勢の里(30)=本名・萩原寛(ゆたか)、茨城県出身、田子ノ浦部屋=は伝達式後に記者会見し、「より一層気が引き締まります。もっと強くなって、お世話になった方々に恩返しをしたい」と抱負を語った。【坂本太郎、村社拓信】
◇「尊敬される横綱に」
口上では「横綱の名に恥じぬよう、精進いたします」と述べた。「お言葉をたくさんいただき、悩みましたが、自分の今の気持ちをそのまま伝えました」と四字熟語などは使わず、シンプルな口上となった。出来については「ちょっとかんでしまいました」と苦笑いを見せると、会場から笑いが起きた。
昨年は夏、名古屋、秋と3場所続けて、優勝すれば綱取りという状況であと一歩及ばずに昇進を逃してきた。優勝で琴奨菊や豪栄道に先を越され、幕内年間最多69勝を挙げながら、賜杯を抱かないままだった。新しい年になり、悲願を達成した稀勢の里は「あと1番足りない状況が続いた。悔やしかったが、我慢して本当によかった。焦らず、自分の相撲を取りきるように、と思った。去年一年は成長できた」と前向きに捉えた。
稀勢の里は15歳で入門し、元横綱・隆の里の鳴戸親方に教えを受けてきた。「師匠と出会わなければ、今の自分はいない。本当に感謝しかない」と述べた。
若い頃に鳴戸親方から「横綱になると見える景色が違う」と言われていたことを思い出すといい、「これまで目に見えなかったものも見えてくるかもしれない。見えるように成長していきたい」と話した。
日本出身横綱は19年ぶりの誕生となった。「横綱は常に人に見られる。稽古(けいこ)場も、普段の生き方も見られる。もっと人間的に成長して、尊敬されるような横綱になりたい」と決意を述べた。
2017年01月25日
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犾大相撲:審議わずか10分、満場一致 稀勢の里の横綱推薦
審議開始後わずか10分あまり。異論を挟む余地のないスピード決定だった。東京・両国国技館で23日にあった大相撲の横綱審議委員会(横審)で、初場所で初優勝した大関・稀勢の里(30)=田子ノ浦部屋=の横綱推薦が満場一致で決まった。委員からは、稀勢の里の安定感に対して高い評価が相次いだ。
横審の内規では横綱推薦の条件について「大関で2場所連続優勝」が原則だが、これに準ずる好成績の場合、出席委員の3分の2以上の決議が必要と定められており、今回の稀勢の里が該当した。
委員会では稀勢の里に加え、鶴竜、日馬富士、白鵬、朝青龍と直近4横綱の昇進前6場所の成績が提示された。稀勢の里は勝率8割2分で、鶴竜(7割3分)日馬富士(7割6分)白鵬(6割6分)朝青龍(8割)の4横綱を全て上回った。この点が重視され、委員から昇進への反対意見は出なかった。
委員会に同席した八角理事長(元横綱・北勝海)は「稀勢の里の安定感が一目瞭然で皆さん驚いていた」と話し、勝野義孝委員(弁護士)は「去年、年間最多勝を取っており、地力がある。今場所は精神的な弱さも出なかった」と語った。
1998年夏場所後の第66代・若乃花以来の日本出身横綱という点にも期待が大きい。都倉俊一委員(作曲家)は「日本人横綱として2、3場所頑張れば人気が上がる。少なくとも4、5回は優勝してほしい」とした。
一方で、何度も綱取りの機会を逃した経緯から、昇進後の好成績を求める声も。杉田亮毅委員(元日本経済新聞社社長)は「取りこぼしのない横綱になってほしい」と発言した。【岸本悠】
2017年01月23日
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犾大リーグ:ロイヤルズのベンチュラ投手、交通事故で死亡
米大リーグ、ロイヤルズは22日、ヨルダノ・ベンチュラ投手が故郷ドミニカ共和国で交通事故に遭い、死亡したと発表した。25歳だった。
ベンチュラ投手は約100マイル(約161キロ)の快速球を投げ込む本格派右腕。昨季は3年連続2桁勝利となる11勝(12敗)を挙げた。大リーグ通算成績は94試合に登板し、38勝31敗、防御率3.89。主力として2014年から2年連続でチームのワールドシリーズ進出の原動力になった。
ロイヤルズのデイトン・ムーア・ゼネラルマネジャー(GM)は「今は彼の死を悼みたい」などとコメントを出した。(共同)
2017年01月23日
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犾ボクシング:山中、3月2日にV12戦
世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級王者の山中慎介(帝拳)が3月2日に東京・両国国技館で同級9位のカルロス・カールソン(メキシコ)を相手に12度目の防衛戦を行うと23日、所属ジムが発表した。34歳の山中が防衛すれば具志堅用高の世界王座連続防衛日本記録まであと一つとなる。
山中は「インパクトのある倒し方、KO決着で終わらせられたら」と自信を見せた。記録への関心は示さず「一戦一戦が自分のテーマ。積み重ねた結果なので今回も目の前の試合を考えていく」と淡々と話した。
昨年9月のアンセルモ・モレノ(パナマ)との激闘など、ここ2試合はダウンを喫している。「反省点があるのでしっかり改善したい。油断はない」と気を引き締めた。山中は28戦26勝(18KO)2分け、26歳のカールソンは23戦22勝(13KO)1敗。(共同)
2017年01月23日
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犾全日本卓球:平野美宇が最年少優勝 16歳9カ月
卓球の全日本選手権は最終日の22日、東京体育館で女子シングルス決勝が行われ、16歳9カ月の平野美宇(エリートアカデミー)が4連覇を狙った石川佳純(全農)を4-2で破り、初優勝した。平野は1988年に佐藤利香(白鵬女高)が達成した17歳1カ月の史上最年少優勝記録を更新した。
◇攻めて石川撃破
鋭く振り抜いたフォアハンドの一撃が決まると、平野は両手を突き上げて喜びをあらわにした。史上最年少優勝を達成した16歳はこみ上げる涙を抑えながら「リオデジャネイロ五輪に行けなくて悔しかった。絶対優勝したかった」と話した。
昨年に続き、決勝で日本のエース石川に挑んだ。平野にとっては「いつか超えなければいけない存在」。気後れすることなく攻め続けた。象徴的だったのが、試合開始直後に見せたレシーブ。石川のサーブに対して大きく前に踏み込み、強烈なフォアハンドをたたきつけた。石川が「最初からスマッシュなんてあり得ない」と困惑するほどの攻撃的な姿勢だった。
さらに誰をも驚かせたのが精神的な強さ。3-1で迎えた第5ゲーム。8-2と優勝が見えながら7連続失点もあり、このゲームを落とした。このまま崩れてもおかしくない痛手だったが、続く第6ゲームはいきなり4連続得点。心の強さがあった。
平野は昨年、ミスの少ない守りの卓球から攻撃的な卓球へとスタイルを一変。それに伴い、大会前から優勝を公言するなど強気な発言も目立つようになった。この日も「スポーツ選手が好感度を気にしても仕方がないから」と笑い飛ばした。3年後の東京五輪に向けてまた一人、頼もしいエース候補が加わった。【田原和宏】
2017年01月22日
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犾稀勢の里横綱昇進へ:白鵬破り14勝 日本出身19年ぶり
大相撲初場所千秋楽の22日、すでに幕内初優勝を決めた稀勢の里は、結びの一番で白鵬を逆転のすくい投げで破り、14勝目を挙げて有終の美を飾った。場所後の横綱昇進は確実で、25日に第72代横綱が誕生する。日本出身横綱は19年ぶりで、3月の春場所は、11勝で終えた白鵬、途中休場した鶴竜と日馬富士を加えた4横綱になる。4横綱は2000年春場所の貴乃花、曙、武蔵丸、若乃花以来17年ぶり。
ともに負け越しが決まっていた大関対決は琴奨菊が照ノ富士に勝利。2場所連続負け越しの琴奨菊は、春場所では関脇に落ちるが、10勝すれば夏場所で大関に復帰できる。照ノ富士は在位11場所で4回目のカド番。
三賞は、殊勲賞が14日目に白鵬を破り、11勝の貴ノ岩が初受賞。敢闘賞は白鵬と貴ノ岩に勝って、同じ田子ノ浦部屋の兄弟子・稀勢の里の優勝に大きく貢献して11勝の高安が2場所ぶり4度目。技能賞は2横綱2大関を破って11勝の御嶽海と、稀勢の里に次ぐ12勝を挙げた33歳・蒼国来が得意の四つ相撲を高く評価され、この平幕2人が、ともに初めて獲得した。蒼国来は11年の八百長問題で解雇されたが裁判で勝訴し、2年半の空白を経て13年名古屋場所で復帰した。
2017年01月22日
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犾全豪テニス:勝負分けたサーブ 錦織、フェデラーに敗れる
テニスの4大大会第1戦、全豪オープン第7日は22日、オーストラリア・メルボルンのメルボルン・パークで男子シングルス4回戦があり、第5シードの錦織圭(日清食品)は元世界ランキング1位で第17シードのロジャー・フェデラー(スイス)に7-6、4-6、1-6、6-4、3-6で競り負け、3年連続のベスト8入りはならなかった。
出だしのフェデラーは、明らかに調子を落としていた。ミスショットを繰り返す元世界1位の姿に驚きつつも、錦織はそこをうまく突いて第1セットを先取。しかし、そのスタートこそがターニングポイントだった。
第1セット。第1ゲームから4ゲームを連取し快調に滑り出したが、今度は第7ゲームから5連続で失った。「そこをしっかり取っていれば、第2セットの入りも変わった」。そこからフェデラーは息を吹き返したかのように格段にプレーの質を上げ、じわじわと重圧をかけ始める。サーブの精度が上がり、攻撃の勢いは一気に加速。「ミスが減ってくれば危なくなる」という悪い予感とともに、先にブレークを奪われ劣勢に立たされた。
サーブが勝敗の鍵となった。錦織が第1サーブで奪ったポイントは68%とまずまずだったが、フェデラーは80%とその上をいった。エースは24本。後半にかけて威力が落ちる気配はなかった。試合中に何度も左脇腹付近のマッサージを受けるほど疲労がたまっていた錦織に、最後にギアを引き上げる力は残っていなかった。
準々決勝で対戦が予想されたA・マリーが敗れ、ジョコビッチも消えた。故障明けのフェデラーを破れば4大大会初制覇への視界も開けただけに「もったいないとしかいいようがない」。3時間半近い激闘の疲れの中、悔しさばかりがにじんだ。【浅妻博之】
2017年01月22日
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【竑スポーツニュース】珣34珒
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