阪神大震災から22年を迎えた17日の朝は、前夜の雨が上がり、澄んだ冷気が寒かったあの日を思い起こさせた。各地で営まれた追悼会場で、自宅の仏前で、出勤前にほこらの前で、犠牲になった大切な人に思いを巡らせ、手を合わせる人たちがいた。被災地は鎮魂の祈りに包まれた。
17日午前5時46分を少し過ぎたころ、食パンをきれいに切りそろえた三角形のサンドイッチを供えた自宅の仏壇に兵庫県芦屋市の中川由佳理さん(38)は静かに手を合わせた。父の手作りで、震災で逝った母と小学生だった弟のお気に入りだった。壊れた家で母は弟をかばうようにして亡くなった。中川さんは今、父と夫、幼い長男と暮らし、おなかに新たな命を宿す。何をおいても我が子を守ろうとした母。「お母さんのようになりたい。見守っていてね」
中川さんは震災当時、高校1年で16歳。神戸市東灘区の自宅が全壊し、母和子さん(当時43歳)と小学6年だった弟智仁さん(同12歳)が亡くなった。父と近所の人らが助け出し、通りがかりの車に頼んで病院に運んだが、救えなかった。22年前のあの日、立っていられない揺れの中で和子さんは智仁さんの部屋に駆けつけたと後に聞かされた。
「命を救う仕事をしたい」と看護師の道に進み、10年ほど勤務した。2010年6月、夫清教(きよのり)さん(42)と結婚し、翌年、長男晴翔(はると)ちゃん(5)が誕生。おなかに次男がいる。
最近は、おなかが大きくなって晴翔ちゃんと遊ぶのも一苦労だ。つい遺影を見上げて「お母さん、どうやってたん?」。聞きたいことはたくさんある。
毎年巡る1・17。父菊雄さん(62)は2人をしのぶうち、十数年前からサンドイッチを仏前に供え始めた。料理好きで、仕事が休みの日の昼食にサンドイッチを作った。卵焼きやトマト、レタスなどがきれいに挟んである。和子さんも智仁さんも大好きだった。震災で失った、温かで優しかった食卓。「あの朝、お母さんは自らを顧みず、弟を助けようとした。私なら、お母さんのようにできるだろうか」。手を合わせながら涙が込み上げた。「何とか助けたかった」
おなかの子が生まれれば和子さんと同じ2児の母。「お母さんのように家族に尽くしたい。見ていてほしい」と願った。【釣田祐喜】
2017年01月17日
毎日新聞(無料)から
(引用)
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阪神大震災22年:弟を守ろうとした母へ「見守っていて」
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