阪神大震災から17日で22年になるのを前に、被災地を歩いて当時を振り返る催しが15日、各地で開かれた。兵庫県宝塚市のイベントでは、親戚を亡くした女性が、震災後に生まれた子供に当時の思いを伝えた。神戸市長田区のイベントには、熊本地震で自宅が全壊した陶芸家の女性が参加し、復興に取り組んだ商店主らと交流した。
◇亡くした大切な人、息子に伝え
兵庫県宝塚市の尾崎美貴子さん(47)は、同市であった「宝塚防災ラジオウォーク」に参加。震災で亡くなった母方の親戚の「西宮のおばさん」のことを初めて息子に話した。学生で札幌市にいた震災前年、「札幌にも遊びにきてね。また会おうね」と手紙を送ると、「みんな元気で過ごしてくれたらいい」と返事をくれた。もし今、手紙を出せるなら、「『みんな元気でいるよ』と伝えたい」と願う。
「西宮のおばさん」は浅本千穂さん(当時47歳)。西宮市内の自宅が全壊し、亡くなった。隣町の西宮に住む浅本さんは、娘のようにかわいがってくれた。北海道大学に合格すると、「向こうは寒いから」と手編みの毛糸のセーターを2着、持たせてくれた。
大学院を修了し、震災の年の1995年4月から、関西での就職が決まった。5年ぶりに浅本さんと会うのを楽しみにしていた。
あれから20年以上。結婚して3人の子に恵まれ、浅本さんと同じ年になった。今は大阪府内の中学校で理科の非常勤講師を務める。
15日朝、雪が舞う中、夫雅彦さん(60)と長男で高1の天馬さん(16)、三男で小4の銀河さん(9)と歩いた。子供たちが生まれる前の阪神大震災。きちんと話せてこなかったが、天馬さんに体験を話した。「おばさんの手紙を読みたい」という天馬さん。「大切な人が亡くなっていたなんて知らず、今まで1・17は遠かった。震災で何があったのか知りたい」と話す。尾崎さんは「おばさんのこと、震災のこと、少しずつ話していきたい」と語った。【山本愛】
◇歩いて復興を知る
長田区を訪れたのは、仮設住宅で生活している熊本県南阿蘇村の陶芸家、北里かおりさん(45)。村では旅館や土産物店の経営者らが復興イベントを企画しており、「旅館が土砂に埋まったままでも頑張っている人がいて、前を向き始めている」と感じていた。そんな時に、仮設を巡回する神戸のボランティアに誘われた。
イベントは同区で復興に携わったNPOなどが主催。この日は地元のまちづくりに奮闘する商店主や東北大の研究員ら約150人と一緒に長田区内の約5キロを歩いた。
地元の活性化をめざす「新長田まちづくり会社」の宍田正幸社長(60)が、にぎわいを取り戻すために玄関口のJR新長田駅前に鉄人28号のモニュメントを建てたプロジェクトを紹介。「建設費の大半は市民の寄付で、昨年も塗り替えたばかり。再開発ビルは埋まらないが、自分たちがまちをつくるという思いは変わらない」と説明した。
北里さんは「復興を進めるのは住民の強い思いだと知った。私たちも南阿蘇オリジナルの復興まちづくりを進めたい」と話した。【井上元宏】
2017年01月16日
毎日新聞(無料)から
(引用)
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阪神大震災:おばさん、会いに来たよ…17日で22年
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