熊本地震で損壊した医療機関から腎不全患者の人工透析を引き受けたことで人手不足に陥った熊本市内のクリニックに、福島県いわき市の「ときわ会常磐(じょうばん)病院」=新村(しんむら)浩明院長=が看護師と臨床工学技士計4人を派遣した。常磐病院は福島第1原発事故の影響で医療物資などが届かなくなり、全国の病院に透析患者を受け入れてもらった経験がある。福島から熊本へ--。「支え合う善意」が受け継がれた。
「福島から来ました」。20日、熊本市中央区神水の「上村(うえむら)内科クリニック」(上村克哉院長)。4階の透析室で常磐病院の看護師、佐藤博彦さん(52)が自己紹介した。男性患者がベッドから「そげん遠いとこから。ありがたか」と笑顔で応える。同病院から派遣された看護師の柴田幸子さん(45)、臨床工学技士の西牧正弘さん(43)と赤津宙(ひろし)さん(30)も、クリニック職員と一緒になって慌ただしく動き回っている。佐藤さんは「クリニックの医師や職員自身も被災者なのに、献身的な働きに頭が下がる。不自由な避難生活を送る患者の役に立ちたい」と話した。
同クリニックは40年前、上村循環器科医院として熊本県内でいち早く人工透析を始めた。診療棟の隣に震度7にも耐えられる5階建て病棟を新築し、上村内科クリニックに改称して5月1日に再スタートする予定だった。
16日の本震で診療棟は大きく壊れ透析室も使えなくなったが、新病棟はびくともしなかった。さらに、透析に必要な水を岩盤を貫く井戸からくみ上げられるため、断水しても透析を続けられている。
上村院長は新病棟を16日朝から開き、以前からの患者91人の透析を開始。多くの病院で透析ができなくなっていたことから、インターネット上にある日本透析医会の「災害時情報ネットワーク」に、「患者を受け入れる」と書き込んだ。
その直後、この書き込みを見つけたのが、福島県最大の透析病棟を持つ常磐病院の新村院長だった。すぐにクリニックへ電話し、派遣を打診した。
常磐病院は2011年3月の原発事故で薬剤やガソリンなどの物資が途絶え、透析患者約600人を抱えて孤立。窮状を知った東京都や新潟県、千葉県の病院が患者を受け入れてくれ、多くの命が守られた。そのありがたさが身にしみている。新村院長は熊本地震後、「困っている病院があるはずだ」とネットワークを毎日、点検していたのだった。
上村院長は「ぜひお願いします」と受話器の向こうにいる新村院長に頭を下げた。同クリニックでは看護師や臨床工学技士16人のうち被災で出勤できない職員も少なくない。「4人の助っ人」を得たことで、熊本市民病院など四つの施設から140人の患者受け入れが可能になった。
上村院長は「善意を忘れるなというメッセージのようだ。今度は熊本の私たちが善意を継承していく番です」。クリニックの外壁の大型時計は、本震発生時の「午前1時25分」で止まったままだが、善意の針は動き続けている。【栗田慎一】
2016年04月22日
毎日新聞(無料)から
(引用)
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熊本地震:人工透析、福島の病院が支援 看護師ら派遣
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